top of page

現代アートを一旦ほどいて紡ぎなおす対話

実はこの7ヶ月、 Tokyo Art Research Lab の 「思考と対話と技術の学校」 というアートプロジェクトの担い手を育てる学校の 「言葉を紡ぐ」

という講座を受講していました。

今回、修了課題としてアートプロジェクト(現代アート)を語る小説風のものを書きましたのでブログでも掲載します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Prologue このもやもやをどう解消したらいいだろうか。 利枝子は途方に暮れていた。というよりも全く頭が回っていなかったといっていい。 利枝子は大学2年生。学校やサークルで多忙な日々の中にぽっかりできた休日をどう過ごそうかと思っていたときに、思い切って一人でとある現代美術館に足を運んでみたのだ。 テレビや雑誌でやたらと現代アート展だとか、〇〇芸術祭というものを見かけるようになって気になっていた。最近やっと始めたインスタグラムで「#現代アート」と検索すると色どり豊かでポップな画像がたくさん見られる。オシャレだしちょっと知的な感じかなと思い、出かけてみたは良いものの、目の前にあった作品は何を言いたいのかさっぱり分からないものばかり。幼少期ぶりの知恵熱が出そうだ。 若干ふらふらとした足取りで展示室を出て、そのままミュージアムショップに入った。せめてかわいいお土産でも買って帰ろう。そしてこんなよく分からない世界のことは忘れよう。 「あの、どうかされましたか?」 一人でぐるぐると思考していたときに突然背後から声をかけられたものだから飛び上がりそうになった。 「急にお声掛けしてすみません。なんだか深刻そうな顔をされていたので、つい」 驚いた私を見て恐縮そうな顔している。よく見るとミュージアムショップの人だった。 「大丈夫です。気にしないでください」 そんなに端から見てヤバい表情をしていただろうか。変な汗が出る。 「さっきここの作品を見てきたんですけどね、よく分からなかったもので」 焦って言葉を続けるうちに、このもやもやを誰かに伝えたかったことに気が付く。 「そうなんですね。私も現代アートを見るともやもやすることはよくありますよ」 そう言ってにっこりと笑った人は利枝子よりも6、7歳ぐらい上だろうか。名札を見ると「津村」と書いてある。 「美術館で働いてる人でもそういうことあるんですね。ちょっと安心した」 あまりにも頭の中が混乱して、変に気が緩んでしまったせいだろうか。普段はアパレル店員に話かけられるのも苦手なのに初対面のこの人と話してみたくなった。この際いろいろ聞いてみよう。ミュージアムショップの人ならアートにも詳しいはずだし、今のところ店内には私たちしかいなくて暇そうだし。 「すみません、良かったら現代アートのこともっと教えてもらえませんか?」 「……?」 急な話に津村は目を丸くする。 「だって現代アートってよく分からないんです。それぞれの作品の意味は説明読んだら分かるけど、逆に説明読まないと何も理解できないし。こっちは軽い気持ちで見にきたのに、ここから先は通れませんよって急に敷居が高い感じがするの。そもそも現代アート自体が何なのか、どうやって見たらいいかよく分からなくって…。美術館の中って静かだから誰かに聞くこともできないで一人で抱えてたの。でもこんなこと知り合いに話して、分からないことを馬鹿にされるのも嫌だし。もう、さっきから、ずっともやもやしてて、このまま帰ったら気が変になりそう!」 利枝子のまくし立てる勢いに押されたのか、津村はしばらく考えた末に 「わかりました。私で良ければ」 と答え、ミュージアムショップの隅にある椅子に利枝子を促した。これで腰を据えて話せる。 そうして現代アートをめぐる対話が始まった。

現代アートってなに? 利枝子:現代アートっていうとあれでしょ。水玉のかぼちゃとか。知っているとオシャレで知 的でセンスが良いって感じ。だけど、何を言いたいのかさっぱり分からなくて難しい。 印象派の作品は優雅で綺麗な感じで好きなんだけど。 津村: そうですね、一口に現代アートといってもたくさんの作品があるから捉え難いところが あると思います。現代アートはcontemporary artを和訳した言葉です。 contemporaryは「同時代の」という意味です。同時代のアート、つまり私たちと同じ 時代に生きる人が、同じ時代にいろんなことを経験して、考えて作ったものということ です。 利枝子:そっか、だから現代なんだ。 津村: 例えばさっきの印象派の絵画は約100年前の作品です。時代を超えて愛されるのはすご いことだと思います。でも、実際にモネやルノワールが置かれていた世界とこの21世 紀は全然状況が違いますよね。一方、現代アートは同じ時代に生きている限り、共通の 感覚があったり、今の生活や社会に結びついたり、同じ時代に「こんなこと考えている 人がいるんだ」ってことを知る手がかりになったりするんです。 現代アートは見るものじゃない? 利枝子:うーん、でも実際に作品を見たときに同じ時代のことですよって言われても抽象的す ぎて難しいなぁ。美術館に展示してあるくらいだから良いもので立派なものなんだろう と思うんだけど、その素晴らしさが分からないのは私が教養がないからかなって思っち ゃう。 津村: 確かに、知識があった方が見やすいくて、分かりやすいことが多いです。でも、事前に 知っておいてほしいことは一つだけです。 利枝子:え、たった一つでいいの? 教えて! 津村:それは「現代アートは見るものではなく、読むもの」だということです。 利枝子:……? 津村: 残念ながら現代アートというものは、鑑賞者が受け身のままでは伝わらないことや面白 くないことが多いのです。だから、ちょっと前のめりになって作品を見てください。そ して、ちょっとでも興味を持ったらもう一歩踏み出してみてください。 利枝子:えー、楽しませてもらおうってわけにはいかないのか…。 津村: 残念ですが。そして現代アートを読むときに心に留めておいてほしいことがあります。 それは、美術館に展示されてるものだからといって全てを素晴らしいと感じ、ありがた がる必要はない、ということです。 利枝子:えぇっ!? 美術館にいる人がそんなこと言っちゃって大丈夫? 津村: うーん、美術館の職員としては失格かもしれませんね(笑)。でも大丈夫です。 確かに美術館に置いてある作品は学芸員や批評家などから一定の評価を得た作品です。 そういった人たちの評価は美術史にとってとても大事ですが、あなた個人がどう感じ、 どう読み解くかは別の話です。「間違っていたらどうしよう」と不安や戸惑いを感じる 人も多いのですが、「見た人(=私)がこう思った」という意味ではある意味全てが正 解なのです。 利枝子:へぇー、私は美術のことをよく知らないから、偉い人の言うことは絶対! だと思って た。 津村: 学芸員や批評家とは「美術の全てを分かっている人たち」ではなく「必死に読み解こう としている人たち」です。彼らはその道のエキスパートで尊敬しますし、彼らの言うこ とは勉強になりますが、むやみにありがたがるのはある意味失礼なことかもしれませ ん。 展覧会では「一番価値がある」とされる作品が大抵一番目立つ位置に置いています。で も、私はその作品にはあまり心が動かなくて、隅っこの方に展示されている作品が心に 残ることもありますよ。 利枝子:そっか、自分にとっての価値は自分で決めて良いってことね。 津村:そういうことです! 立ち止まって考えてみる 利枝子:現代アートを見るときは自分の価値観で読めばいいってことは分かったけど、そもそ もなんで現代アートってこんなに難しいの? 津村: 繰り返しになりますが、能動的に作品に向き合って読まなければならず、さらにその答 えが一つじゃないからです。 そもそも現代アートに限らず世の中というのは分からないことだらけなのに、それを 日頃は見て見ぬふりをしたり、考えることを放棄したりしていませんか? 利枝子:まぁ、そう言われてみれば…。だけど、そんなことにいちいち向き合っていたら疲れ て生活できないでしょ。 津村: でも、アーティストと呼ばれる人たちはそこにガチンコで向き合っている人たちなので す。だからたった一つの正解なんて誰にも分からないし、分からないことは恥ずかしい ことではないのです。 むしろ、合理的でスピード重視の現代社会において、訳の分からないものに向き合い続 けて、考え続けることが許されることって、救いではないでしょうか? 利枝子:……救いって? 津村: 今の社会って分かりやすいものとか結果がすぐに出るものがもてはやされて、曖昧なも のとか、時間をかけないと先が見えないものは切り捨てる傾向にあると思います。役に 立つか立たないかだけが判断基準になっている不寛容な時代です。 利枝子:「こうあるべき!」って価値観にハマってないと息苦しい。 津村: 私は「立ち止まって、考える」って大事だと思うんですけど、意外とそれが難しいんで すよ。ただ、現代アートは立ち止まって考えないと見えてこないんです。 利枝子:そっかぁ。それが許されているのは現代アートだけってことね。 津村: 本当はもっといろんなところで許されてほしいんですけどね。 現代アート鑑賞のポイント 利枝子:でも、急に立ち止まっても私みたいに不慣れな人には「現代アートを読め!」なんて ハードルが高いでしょ。 津村: そうですよね(笑)、おっしゃる通りだと思います。私なりの現代アート作品を見ると きのポイントをいくつかお伝えします。現代アートを楽しむきっかけづくりに役立てて ください。 まず、見えるものを言葉にしてみましょう。重箱の隅を突くように近づいて見たり、全 体を見渡せるように遠ざかって見たりして、目に見えるものを挙げてみましょう。赤い とか丸いとか単純なもので構いません。もしもお友だちと一緒に見ているならお互いに 言い合うと新たな発見があるかもしれません。 次に、参加型の作品には思いっきり参加しましょう。最近は鑑賞者が何かアクションを 起こすことで作品が成立する作品っていうのが増えています。例えば何かを書いて貼っ たり、動かしたり、作品空間内にズカズカと入っていたり。つまり自分自身が作品の一 部になれるのです。 利枝子:あー、そういうのテレビで見たことある! でも、周りに人がいると恥ずかしいんじゃ ないかな。 津村: 確かに、ちょっと周りの目が気になることもありますね(笑)。でも一人がやり始める と周りの人も面白そうと思って続いていくので案外楽しいですよ。 利枝子:うわー、度胸ある…。 津村: さて、続いてですが、五感をフル稼働させましょう。参加型の作品もそうですが、目で 見るだけではもったいないです。どんな音が聞こえるか、どんな匂いがするか、全身で 感じ取ってみてください。 そうやって作品を体感した後は、ツッコミを入れていきましょう。『〇〇っぽい』とか 『〇〇に似ている』というように、見たことがあるものや日常的なものに連想してみる のがやりやすいと思います。それから『これかわいい』とか『うわ、強そう』とかの形 容詞を使っていくのもオススメです。これも誰かと意見をシェアしながらだとより楽し くなりますね。 利枝子:なんかさっきから意外と軽いノリでやってるように聞こえるんだけど…。 津村: そうですね。今紹介しているようなやり方は、さっき言ったようなガチンコで世界と向 き合っているところまで入っていない、軽いノリの部分かもしれません。でもこうやっ て足慣らしをしていると、感覚が研ぎ澄まされていくと思います。 利枝子:そんなもんかなぁ。 津村: そうやって作品をしっかり向き合った後にキャプションや図録などの説明を読んでみま しょう。作家やキュレーターの言葉でより深いところまでいけると思います。 利枝子:キャプションってあの絵の横とかにある題名が書いてあるやつ? 私いつも最初に見る んだけど。 津村: もちろん、最初に見るのもアリですよ。ただ、私の場合は最初はそういったものを全く 見ないでゼロベースで作品に向き合います。その方が余計なバイアスがかからないの で。 利枝子:へぇー。 津村: それに作品を見る前に説明を読んでも頭に入ってこないことの方が多いんですよ。でも 作品を見た後だとスッと入ってくる気がします。いずれにしても「こうしなさい」とい うルールはないのでいろいろ試して自分なりのやり方を見つけてみてください。 利枝子:なるほど。でも、展覧会って作品がいっぱいあるからそんな風に一つ一つの作品と向 き合っていたら疲れそう。 津村: いや、疲れますよ(笑)。もう見終わったらヘトヘトです。まぁ、全ての作品に対して やるのがしんどかったらお気に入りの作品ナンバーワンを選んでからやってみるのはい かがでしょうか。 「分からない」を分かる 利枝子:ふーん、じゃあ今度やってみようかなぁ。ところで、そんなヘトヘトになるまで見た りして、お姉さんは最初から現代アートが好きだったの? 津村: まぁ作品を見るのも仕事のうちみたいなもので、ヘトヘトになるけど、楽しいからやめ られないんですよ。ただ、最初は現代アートに対してはすごく抵抗がありました。なん ていうか、得体の知れないもの? みたいな感じでしたよ。 利枝子:うわぁ。 津村: 初めて現代アートを見たのは大学生のとき、授業でのことでした。先生の口癖は「現代 アートは見るもんじゃない、読むものなんだ」でした。そうそう、さっきのは先生の受 け売りです。 利枝子:なんだ、お姉さんの言葉じゃないのか。 津村: 実はそうなんです。当時は先生の言っていることが理解できなかったのですが妙に心 に残っていて、だんだんと腹落ちするようになってきました。 そのあと授業でたくさんの作品の背景を知ったり展覧会に足を運んだりするとだんだん と知識が身についてきました。知識を身につけるとそれに基づいて作品を見るようにな っていきます。「これはこの時代の作品だから、こういう考えで作ったんだろう」って 感じです。その見方はちょっと窮屈だし、どれだけ勉強しなければならないんだと途方 に暮れました。 利枝子:確かに。 津村: でも、勉強するうちに、「現代アートは現代のことを扱っているアートなんだから、ち ょっと共感できるところがあるかも」と感じることがありました。これは裏を返せば現 代社会のことで分かっていない部分があれば、現代アートを分からないと感じるのは当 たり前です。この社会の全てを分かっているなんていう人は神様くらいのものでしょ う。つまり「分からなくて当たり前なんだ」ということに気づきました。「分からな い」ということを分かったのです。 利枝子:なんだか言葉遊びみたい。 津村: そうですね。学校の勉強では「分からない」ことがあったら「分かろう」と努力してき ました。私は数学が苦手でしたが唯一絶対の解があるんだから、頑張れば辿り着けるは ずなのです。だから「分からなくて当たり前なんだ」と言ってくれる現代アートの世界 は今まで見たことがない懐の深い場所だと思いました。 利枝子:さっきの救いってやつだ。それで現代アートが好きになったの? 津村:今思い返すとそうでしたね。それ以来、現代アートの沼にはまってしまいました。 現代アートとものさし 利枝子:沼って(笑)。そんな、やみつきになるほどの現代アートの魅力ってなに? 津村: そうですね、いろいろありますが常に新しい驚きや発見があって飽きないところです。 これも同時代に生きているからこそ実感できるものです。同じアーティストでも次はど んなものを見せてくれるんだろうと思うとワクワクします。 それから、「分からない」という領域に向き合っているとだんだんと視野が広がってい くんです。先ほど「この社会の全てを分かっているなんていう人が神様くらい」と言い ましたが、私たちでも「自分がどこまで分かっていて、後どれくらいが空白か」とか 「分かっているっていうのはどれくらいの深さで分かっているのか」といったことを推 測できるようなものさしを持てるようになってきました。 利枝子:……ものさし? 津村: うーん、いろんなものを相対化するツールみたいな感じですかね。このものさしを手に 入れると、全く新しいものに出会っても、そのものさしを使って見ることができるよう になりました。考えるときの拠り所、とでもいいましょうか。「分からない」ことに変 わりはないのですが得体の知れないものではなくなります。 利枝子:なんか難しいけど…お姉さんはいろいろ知っててすごいですね。 津村: いや、私だってまだまだ未熟だし、知らないことも多いです。いろんな作品に出会え ば、また新たな価値観が広がって、ものさし自体もアップデートしていくことになると 思います。この先もっと精巧なものさしを持てるようになったら、今日話した内容をど う思うでしょうか。次に会ったときには全く違うことを言っているかも知れませんよ。 …最後の方はなんだか抽象的な話になってしまいましたね。でも、簡単に説明できるも のなんて大抵つまらないものですよ。 Epilogue 津村にお礼を言って利枝子は美術館を後にした。また来ていいですかと聞くと、もちろん、とややうわずった声で返してくれた。 外に出るとすっかり日も傾いていた。見慣れた都会の景色がいつもと違って見える。 空ってこんなに広かったっけ?と利枝子は自問する。 もやもやが解消されたわけではない。ただ、もやもやを抱え込んで生きていくのも悪くないと思えた。 

Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
bottom of page