森美術館国際シンポジウムの感想
というシンポジウムに参加してきました。
私自身の感想を織り交ぜながらレポートしていきます。
※日英同時通訳を聞きながら走り書きしたメモを参考に書いているので、正確でないところもあるかもしれません。あしからず。
社会教育施設である美術館では「教育普及」あるいは「エデュケーション」という言葉が使われていますが、このたび森美術館では”Leaning”という言葉を使い始めたそうです。
その背景には物語性の強い作品、特にSEA(Socially Engaged Art)やインタラクティブアートの展開、あるいはSNSの発達による社会構造の変化に対して、対等に学ぶ、共に学ぶという意識が強くなってきたことがあるそうです。
芸術鑑賞というのは従来は受動的な行為だったのに対し、参加型の作品など鑑賞者が積極的に関わる作品が増えてきたということだと思います。
午前中は3名の基調講演。
まず登壇したのはアナ・カトラーさんというテートのラーニング・ディレクターの方。
ラーニング・ディレクターという役職があり、チーフキュレーターと同等のポジションだそう。
彼女はEducationをFormal Education、つまり構築されたシステム、制度、イデオロギーによるものであり、大事なのは「何を学ぶか、どう学ぶか」と定義づけました。
一方でLeaningはChange through experience、つまり体験を大事にすること、新しいことを学ぶことで変化を実感するものと定義しています。
ここで「ん?」と思うのはそのeducationの定義。
私の認識では教育というと、広義には社会教育、狭義には学校教育があると思います。ここで言っているのは学校教育の話では?
もっと広く社会教育という枠組みのなかで考えるべきと思いましたが、言葉のイメージを変えるよりもleaningという言葉を使った方が伝わりやすいのだろうか。
また、学びの体験として必要な要素にcontent, space, method, timeの4つを挙げています。
Tate exchangeというオープンな実践の実験の場を作っているという話でした。
印象的だったのは、テートのラーニングチームだけで60人もいるという話。テート・モダン、テート・ブリテン、テート・リバプール、テート・セント・アイヴスの4つを合わせての人数とはいえ、日本とはちょっと規模が違いすぎる・・・。
続いてアーティストのスザンヌ・レーシーさんが登壇。
彼女はSEAの作品を制作し続けている方で、いくつかの作品を紹介されました。特に女性や高齢者にフォーカスした作品が多い。参加者(主に女性や高齢者)が自らについて語り合い、問題提起していくような作品だ。それが一つのパフォーマンスとしても、アーカイブの仕方も美的に優れている。
特に印象的だった作品はエクアドルで制作されたこちらの作品(youtubeに動画があがっていました)。
エクアドルでは女性に対する家庭内暴力が社会問題となっているそうです。
そこで家庭内暴力に苦しんだ女性に手紙を書いてもらい、その手紙を闘牛場(強さ・男らしさの象徴の場)で男性に読んでもらうというパフォーマンスです。
手紙の内容は耳をふさぎたくなるような壮絶な内容で、それを男性に読ませる。でも、この男性も家庭内暴力の加害者なのかもしれない。一つのパフォーマンス、ということに留まらず、この人たちは自宅に帰ったら何を思うのだろうか。
次の登壇者はナット・トロットマンさんというグッゲンハイム美術館のパフォーマンス・メディアキュレーターの方。
アーティストとのプロジェクトやアーティスト支援、コミュニティベースの参加型アート作品などの実践の事例紹介がありました。
グッゲンハイム美術館はフランク・ロイド・ライトの建築で、テートのように新しいスペースをつくることもできない。そんななかで、円筒形の建物の形をうまく使ってソーシャルスペースに生まれ変わらせていました。
個人的にはグッとくる話。有名建築家が建てた美術館というのは、建築そのものが建築家の思想を体現した作品んであり、気軽に変えるのが難しい。でも建築家を尊重しつつ、場を活かす方法はいくらでもあるんだ。
グッゲンハイムではこれらの活動を「social practice」と呼んでいました。
SEAの入門書、「ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門」のなかではSEAとsocial practice(例えば街のゴミ拾い活動とか)を明確に区別をしていたので、それにはとても違和感を感じました。
午後はイントロダクションののち、セッションが2つ。
イントロダクションでは「日本のソーシャリー・エンゲイジド・アートの潮流」というテーマで、日本でどのようにSEAが受容されつつあるかということと、2月18日~3月5日までArts Chiyoda 3331で開催されるSEAの展覧会の紹介がありました。午前中に登壇したスザンヌさんや午後に登壇する方、日本人のアーティストも展示しているそうですが、今回の東京滞在は短かったため、残念ながら観に行けませんでした。
さて、一つ目のセッションはアーティストの立場から。ラーニングというよりも、SEAなど社会との関わり方についての話がメインになりました。
興味深かったのは「冷蔵庫」と「オーブン」の話。
museumの概念、museumの枠組みの中でどう作品を作るか、という議題の中で出てきた話で一人のアーティストがmuseumを冷蔵庫に例えました。温度が一定でモノをずっとキープできる場所がmuseum。でも、作品を作るという行為に必要なものはオーブン。新しいものを作る場所で、ずっと見ているべきもの。
私の職場は「冷蔵庫」としての性格が特に強いところなので、耳が痛い話でした。「オーブン」でヒリヒリと火傷するような実践の場に憧れてしまいます。
同じ「施設」という枠組みでも、劇場のほうがオーブン
非物質的なものにどうやって価値を与えていくか、というのは冷蔵庫に課せられた課題になってきそうです。
また、アーティストが社会と関わっていく上で美術館の持っているコネや枠組みは重要なポイントになるよう。
また、今後は美術館のオーブンとしての機能が問われてくるのでしょうか。
二つ目のセッションは美術館の立場から。午前中に登壇した二人に加え、横浜美術館の逢坂恵理子さんとアーツ前橋の住友文彦さんも交えてのセッションでした。
逢坂さんが鑑賞者が美術館で得られる体験として、
1.観察力を鍛える・考えること ⇒想像力、言語表現力
2.複眼的に見ることの気付き ⇒数値化できないもの、他者を受け入れる
3.新しい表現との出会い ⇒知らないことに向き合う
の3つを挙げていました。いつも立ち返りたい考えです。
こちらのセッションでは、美術館が市民との心理的な壁を取り払い’脱’冷蔵庫となっていく話や、オーディエンスによる違いの話、資金調達の話がありました。
例えば森美、横浜美術館、アーツ前橋の3つをとってもオーディエンスが全く違うわけです。森美術館に来る人は「全社会の縮図」だそうで、横浜は市民も外の人も含む全ての人に対して「間口は広く、奥行きは深く」という開き方を目指しているそう。そしてアーツ前橋は顔が見える「お隣さん」。
そして、educationからleaningの流れというのは、アーティストから来たもの、アーティストが先導しているものであり、その波が美術館に来たのだということ。
シンポジウムのテーマである、「現代美術館は、新しい『学び』の場となり得るか?」という問いについて「変化していくことが重要だが、その可能性は十分にある」ということで締めくくられました。
翌日からLeaning Weekと題して様々なトークイベントなどがありましたが、私が参加できたのは一つだけ。
「日本の美術館と教育―変わりゆく時代に創造性をひらく」というテーマで世田谷美術館の塚田美紀さんのお話を伺いました。
教育の歴史から、日本の美術館の教育普及の変遷についてのお話で大変勉強になりました(というか、大学時代にもっと勉強すべきだったと反省しました)。
そもそもFormal Educationといわれるような近代的な学校というのは産業革命後均質な国民を育てるために19世紀半ばのドイツ、イギリスあたりで生まれ、日本にも伝わってきたそうです。
そういった学校教育の批判は早い段階からあったそうです。ジョン・デューイは教師中心から子ども中心へ、暗記から直接的な経験、学びのプロセスを分かちあうことなどを唱えていたそうです。なぜか。粘り強い対話ができるのは民主主義につながるからです。
日本では1970年代から美術館が続々と建設されるようになり、初めはレクチャー形式から教育普及活動が展開されていきました。また、舞踏などのパフォーマンスも重要な役割を果たしたそうです。
最後は、美術館での教育というのは、学校や児童館など外のことをもっとリサーチして手を組んでいくべき、という話でしめくくられました。