「ブラインドデート」志賀理江子個展
写真は一瞬の時間を留める、という言い方があるが、写真はだって虚像でしかない。
そう感じたのは丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催中の志賀理江子個展「ブラインドデート」を見ながらのことだった。
チケットを買うと「展示室は暗いので足元お気をつけください」と言われ、暗いとはいえ写真展なのだから大したことないだろうと思いながら展示室に入った。
入ったら本当に暗くて、目が慣れるのに2、3秒かかった。
カシャン、カシャンと定期的に音が聞こえるのは写真をスタイドブロジェクタで写していたから。
広い展示室に何台ものスライドプロジェクタが並ぶ姿はそれだけでもぞくっとした。
フィルムに光を当てて白い壁に投影するという原始的な手法。
何が写っているのだろうと一歩近づいてみたら次の瞬間には消えている。
写真が写っていた痕跡さえ残さずに。
写真を撮ることで「見る」という行為に究極的に向き合っている。
見るって、物事を捉えるってなんだろうか。
そう考えだすとしっかり地面に立っているはずなのに、足元がふわふわとおぼつかなくなってきた。
展示室の一角に、写真が全くなく、作家の書いたテキストが壁一面に書かれている箇所があった。
(そもそも展示室の一番はじめに「ブラインドデート」についてのテキストがあり、この展覧会は膨大に文章に支えられて成立していた。)
テキストの一つに、もしも既存の宗教や儀式がなかったら大切な人が死んだときにどう弔うか、という問いが投げかけられていた。
固定観念から逸脱できるとは思えないが、つい花を手向けたくなったり、言葉を添えたくなったり、モノに思いを託したくなったりするのは昔から変わっていないのかもしれない。
私たちが「アート」と呼んでいるものの根源を見た気がした。