佐々木中[著]「切りとれ、あの祈る手を」
記念すべき第1回目の投稿は、このブログのタイトルの元になった本の紹介をしたいと思います。
著者の佐々木中さんは哲学や現代思想を専門にされている方です。
哲学、とか難しそう。読んでも分からなさそう。と思いますか?思いますよね。
私は門外漢なので、初めて読んだ時にはかなり苦労しました。書いてある内容の半分も理解できなかったし、何度も繰り返し読んだ今でも、理解できていないと思います。
とても信頼し、尊敬している先輩から勧められた本だったので頑張って読んでみたわけです。
とはいえ、内容は難しいけど、文体はとてもやわらかいです。佐々木中さんが誰かに(実際は出版社の人に)お話するように書いてあるので、自分もそこに一緒にいるような気持ちで読めます。
この本の副題は「〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」とあります。
本?革命?この二つの単語が並ぶのってなんだか不思議ですよね。
革命といえば、フランスの市民革命とか、産業革命とか、IT革命とか、そんな言葉が連想されますが、そこに本(文学)がどう関わってくるのか。
象徴的なものはルターの宗教革命でしょう。確か歴史の教科書には宗教「改革」と書いてあった気がしますが、あれはまぎれもない革命だということです。
免罪符をはじめ当時教会で横行していたさまざまな慣習があって、一般の人はそれに従うしかなかったんですね。しかし、ルターは聖書を読んでびっくりするわけです。「そんなことどこにも書いてないじゃないか」と。
そして、翻訳して、出版した。文盲率が95%だった当時でも爆発的に売れたそうです。
ゆえに、革命は起こった。
これが本を読むことは革命である、ということの一例です。
この本の中で、宗教革命や他の革命についても詳しく論じながら(他の革命の方が重要だったりしますが、世界史の知識が無いのでここでは割愛します)、本を読むというのはどういうことか、文学とは何かに迫っていきます。
ところで、現在の日本ではみんな読み書きができるのが当たり前のように思われています。
実際は成人になっても一定数の人が読み書きができないと言われているんだけど。
でも、古代ギリシャとかの文盲率の高さを考えると、文学なんて廃れていてもおかしくないわけです。
そんな時代の本をいま、私たちが手に取って読むことができる。
文学は革命を起こしうるし、文学は時を超える。
これこそが文学の勝利だと。
さて、「となりの足音」と名付けるきっかけになった一節を引用します。
ヴァルター・ベンヤミンが言っています。 『夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは、橋でも翼でもなくて友の足音だ』と。 足音を聞いてしまったわけでしょう。助けてもらってしまったわけでしょう。 なら、誰の助けになるかもわからなし、もしかして誰にも聞こえないかもしれない。 足音を立てることすら、拒まれてしまうかもしれない。 けれど、それでも足音を響かせなくてはならないはずです。 響かせようとしなくてはならないはずです。 一歩でもいいから。
(佐々木中「切り取れ、あの祈る手を〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話」2010, 河出書房新社, p.205.)
この本を読んでしまったのだから、私は書かなければいけないのです。
参考:佐々木中オフィシャルHP
余談ですが、「となりの足音」でググると
「となりの足音 うるさい」とか、「となりの足音 迷惑」とか出てくるので、あまり良い名前ではないんですよね。 ただ、上記のような思いを持っているので、あえてこの名前のままでいくことにしました。