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「タロウのバカ」感想

良い作品とは何か?

その答えは無限にあるけれども、ここで一つ「見終わった後に、まるで喉に刺さった魚の小骨のように引っかかって、ずっとずっと気になってしまうもの」という定義を与えたい。

賛否両論を巻き起こしているという本作だが、賛の人にとっても否の人にとっても、ずっと心に引っかかるであろうことから、傑作と呼ぶにふさわしい映画だ。

タロウのバカ」はあまりにも純粋な、天使のような少年たちの物語である。

菅田将暉演じるエージは、柔道の推薦で高校に入ったものの膝を壊してしまい、半グレ集団の下っ端として働くなど、自暴自棄になっている。

仲野太賀演じるスギオは、クラスメイトに恋する理性的で臆病な普通の高校生。しかし、彼が思いを寄せる彼女は売春をやっている。

YOSHI演じるタロウは、戸籍がなく一度も学校に行ったこともない。愛されたことのない彼は「好きって何?」と問いかけ続ける。

主演のYOSHIは14歳で大抜擢された新進気鋭の少年だ。現在、舞台挨拶等で露出の増えた彼だが、映画のなかのYOSHIはとても幼く見える。14歳から16歳の少年の成長ぶりには目を見張る。

もう2度と撮れないどこか浮世離れした奇跡のような少年の姿をカメラに収められたことは奇跡と言ってもいい。

社会の隅っこで疎外感を味わいつつも燦めくように生きていた彼らの日常が狂い出すのは、一丁の拳銃を手にしたことがきっかけだった。いや、拳銃は彼らの日常を変えたのではなく、彼を取り巻くあらゆるものを可視化したのだ。

彼らは拳銃を持って走る、走る。国道沿いの道、高架下、住宅街・・・。誰かに見られるのではないか、警察を呼ばれるのではないか、とハラハラしながら見ていたが、誰も彼らを見ていない。

誰も見ていない、筈がないのに、石が転がるようにアウトローに進んでいく彼らを止めてくれる人は誰もいない。(この描写は是枝裕和監督の「誰も知らない」を彷彿とさせる。ちなみにタロウが育児放棄されたエピソードと「誰も知らない」はいずれも1988年の巣鴨子供置き去り事件をモデルにしている)

映画を見終わってから繰り返し考えていることがある。「なぜスギオは死ななければいけなかったのか」

育児放棄され過酷な環境で育ったタロウや自暴自棄になって非行を繰り返すエージと違い、スギオはいつも理性的で、犯罪行為にも否定的な、いわば「こちら側」の人間だ。

彼のような「普通」で「こちら側」の人間が抱える絶望は、ふとしたことがきっかけでころりとあちら側に行ってしまう。

スギオには学校があり、心配してくれる父親がいる。彼には居場所がある、はずだ。

兼ねてから思いを寄せていた彼女に対して、「3万円あるよ。セックスしようよ。」と繰り返す言葉に彼の生きづらさが凝縮されているようでたまらなかった。

(この危うくて難しい役どころを演じきった仲野太賀の演技力よ)

普通に生きることも、アウトローに生きることも叶わない世の中で、どこに居場所があるのか。

全身を震わして叫ぶタロウは、異様で近寄りがたく、ちょっと怖い。現代を生きる天使には羽が生えていないし、飛んだ後は落ちてしまうのだ。


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