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女木島レポ①

高松港から20分ほどのところに位置する女木島に行ってきました。

別名「鬼が島」。誰しも知っている桃太郎の鬼退治の舞台とされていて、島の中心部には鬼が住んでいたという伝説のある洞窟があります。

早速鬼が島大洞窟へ。芸術祭とは関係なく、ここは長年観光地として親しまれてきたところです。

その洞窟に作品を展開しているのがカオス*ラウンジです。

洞窟自体は昔海賊が住んでいたとか、人の手によって彫られたとか、成り立ちに諸説あって未だに謎だそうです。

その鬼=他者と位置づけ、映像やオブジェを展開しています。

洞窟に点在する鬼のオブジェは観光地として展開するためのものですが、なんだかとてもシュール。

そしてそれに作品をかぶせてくるカオス*ラウンジ。

この狭い洞窟(ときにはかがまないと歩けない)でよくこんな大きいものを作ったな、というのが一番の感想。

カオス*ラウンジの他に洞窟内に展示されているのはオニノコプロダクションによる、鬼瓦。

香川の伝統工芸であり、県内の中学生3000人が作ったものです。写真じゃ分かりにくいけど、一つ一つ個性的な鬼の顔をしています。

洞窟は丁度島の中心部、高台にあって洞窟近くの展望台では島の両側が見渡すことができます。

女木島港の反対側の西浦という小さな集落。

ナウィン・ラワンチャイクン+ナウィン・プロダクションによる作品「OKタワー」が展示されています。

この作品は芸術祭の夏会期の初日に四国新聞の一面に載るほどのシンボリックな作品となっていますが、西浦にはこの作品が一つあるだけ、バスの本数も限られているのでこの日は断念。

展望台から眺めただけとなりました。写真は展望台からズームしたもの。コンデジでも意外とよく撮れました。

ただ、ナウィンさんの作品は女木島港近くの鬼が島おにの館というところで映像作品が展示されています。本来ならばOKタワーと合わせてこの映像を観るのがベストです。

ナウィンさんは2015年の大地の芸術祭のとき赤倉という人口50人ほどの小さな集落で、住民の方と交流を持ちながら、人びとの暮らしや記憶に寄り添うような作品を作られていました。廃校になった小学校で展示されていましたが、住民のおじいちゃん・おばあちゃんがその小学校の校歌をいまでも口ずさめるそうで、その校歌と赤倉の風景を重ね合わせた映像は感動的でした。

こういった地域アートの目指す形の一つを提示されていたように思います。

さて、今回の女木島でも同様に島の方々と交流を持ちながら作品を作ってきたそうですが、赤倉での作品よりも非常にユーモアが溢れていて、かつ、「地域の中に入っていくアーティスト」の姿がより鮮明に感じられました。

というのも、おそらくその前にカオス*ラウンジの展示で島にやってきた鬼=他者に焦点をあてた作品を見ていたからだと思うのですが、他者(アーティスト)が介入することで、その土地にある何かが揺さぶられたり、何かが醸成されたりするのだと思います。

そのあとは女木島港近くに戻ってレストランイアラ女木島へ。

2016年の瀬戸芸のテーマのひとつに「食」がありますが、その一環で営業しているレストランで女木島で採れた食材を楽しめます。

また、こちらではレアンドロ・エルリッヒの「不在の存在」という作品も鑑賞できます(撮影不可)。

依田洋一朗さんの「ISLAND THEATRE MEGI『女木島名画座』」

古い倉庫を改修したものだそうで、絵画と映像によるインスタレーションでした。

マンハッタンの古いシアターを彷彿とさせます。

こちらは休校中の女木小学校を改修した大竹伸朗さんの「女根」です。

シンボリックな椰子の木。

なるほど女根という名前を彷彿とさせる木とキッチュなタイルが大竹さんらしい。

平尾成志×瀬ト内工芸ズ。×香川県盆栽生産振興協議会による「feel feel BONSAI」

香川県といえば盆栽が有名ですが、いわゆる伝統的な盆栽から現代的な?ものまで幅広く展示されていました。

盆栽って古臭くて、年輩の方の趣味ってイメージを抱いている人は(かく言う私もその一人でしたが)一見の価値有り。盆栽のカッコよさに目を奪われると思います。

女木港近くには禿鷹墳上さんの「20世紀の回想」

木村崇人さんの「カモメの駐車場」が出迎えてくれます。

女木島の作品はまだ見きれていないものもありますが、今回はこの辺で。

女木島は本当に高松が近くに見えます。

高松は高いビルもあるし、夜遅くまでお店が開いてるし、交通の便は良いし、都会です。

一方で海を挟んですぐ向かい側に昔ながらの暮らしを大事に守っている女木島、という図がなんとも・・・。

私自身がそこそこ都会で生まれ育ったせいか、やはり便利な現代的な暮らしへの執着が強いので、都会の高松を目の前に暮らす女木島の人はどんな気持ちなんだろうと思ってしまいます。そりゃあ若者は出て行って、高齢化が進むのも頷けます。

所謂限界集落と呼ばれているところはどこも同じような問題を抱えていると思いますが、例えば山奥の集落だと都会に出るのに時間もかかるし、物理的に遠いことが多いです。

でも、島だと物理的な距離は近いのに、大きな隔たりがあるんだなぁ。

だからこそ海はとても重要な交通路だったわけですが。

女木島から高松を見ながらそんなことを考えました。

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