大島レポ
瀬戸芸の島のうち、もっとも行きにくい島は大島ではないかと思います。
地理的には高松から20分ほどで行ける場所にあるのですが、ふらっと行けるような場所ではないのです。なぜかというと、この島は島全体がハンセン病回復者のための国立療養施設となっているからです。
かつて不治の病とされたハンセン病は1907年から1996年まで隔離政策が行われ、全国に13ヶ所の療養施設があるそうです。現在では特効薬が作られハンセン病の方は治療を終えていますが、後遺症と高齢に伴うケアをするために療養施設で暮らしています。治療を終えているので「患者」とは言わずに「入所者」と呼ぶそうです。平均年齢は80歳超。
だから入所者の方のプライベートな生活を守るため、一般の人が自由に大島に行って散策、ということはできません。
芸術祭目的で大島に行く場合は、出航の40分前から高松港のインフォメーションセンターで配布される整理券を受け取って、チャーター船に乗り込みます。
定員12名の船です。
この日は快晴。暑かったけど、海の上では風を全身で感じて、海も空も全力で見渡せて気持ちいい。
島内も自由に歩き回ることができず、瀬戸内国際芸術祭のボランティア、こえび隊の方のガイドツアーで大島を回ります。
この写真は何の変哲もない道に見えますが、右側の柵、道路の白線は盲人の方が道を歩くときの頼りにするものだそうです。
また、島中いたるところにスピーカーがあって、常に音楽が流れ続けています。誰しも聞いたことのあるような民謡で、最初は音楽療法的な意味で流しているのか?と思いましたが、実はこれも盲人の方のためのものだそうです。これを頼りに島内を歩くんだとか。
こちらはやさしい美術プロジェクトによる「カフェ・シヨル」。やさしい美術プロジェクトさんは2007年からずっと大島に関わっています。この建物はかつては面会に来た親族の方が泊まる場所だったそうです。
この日はあいにく閉まっていましたが、入所者の方も訪れるカフェだそう。
島の一番景色の良い高台にあったのは納骨堂と石碑。
納骨堂にはいままでの入所者の方のお骨があって、現在入所されている方の場所も決まっているそうです。こちらでツアー参加者みんなで手を合わせました。
静かに手を合わせると、聞こえてくるのは波の音と蝉の声だけでとてもとても静かでした。大島に来るまでの船の上でも、大島でも、景色はものすごくきれいなんだけど、ここに強制的に隔離されて住み慣れた場所とか家族とも離ればなれになって死ぬまで何年も暮らした人たちは何を思ったんだろう。
「『なにもない』がある」なんて言えないよな、と思います。
こちらの石碑も亡くなった方を弔うものですが、真ん中は生まれて来れなかった胎児のための石碑だそうです。
ハンセン病患者同士で結婚することは認められていたそうですが、子どもを身ごもってはいけなかったそうで、でも稀に身ごもってしまった場合は中絶させられたそうです。
大島では宗教施設が充実しているのも特徴的なところ。さまざまな宗教、宗派の施設があります。入所者の方にとっての拠り所であり、亡くなった後の埋葬の仕方を決めるためでもあったそうです。
私は特定の宗教を持っていませんしこの先も持つことはないと思うのですが、ここにある宗教施設を見ると宗教というのは極限の状態に追い込まれたときの、ある種の生きる術なのかなと思いました。
また、四国と言えば八十八か所巡りが有名ですが、大島にいてお参りができないので各お寺からお地蔵さんを作ってもらって島内で八十八か所巡りができるようにしているそうです。写真はお地蔵さんの後ろ姿ですが、このようなお地蔵さんが等間隔に並んでいました。
続いて見たのは、火葬場と「風の舞」というモニュメント。
火葬は現在は職員の方がされていますが、入所者の方が入所者の方を火葬することもあったそうです。
風の舞は1992年に作られたモニュメントで、生前は島に隔離されていた方々の魂が風に乗って自由に解き放たれることを祈って作られたそうです。
さて、それから瀬戸内国際芸術祭の出品作品を見に行きました。
展示されているのは入所者の方が暮らしていた五軒長屋の寮です。この寮では一人6畳一間ぐらいの空間で暮らしていたそうです。
やさしい美術プロジェクトによる、入所者の方の生活用具などの展示(撮影不可)や、かつての入所者で写真家だった鳥栖喬さんという方が撮影した大島の写真や撮影器具が展示がありました。
この船はかつての入所者の方が海に遊びに行くのに使ったものだそうです。基本的に島の外に出ることは禁じられていたのですが、入所者同士で組合?のようなものを使って特別に許可してもらったそうです。
そんなに大きな船ではないし、現状はボロボロになっていますが、入所者の方がどんな気持ちでこの船に乗ったのだろうと思いを馳せると涙が出そうになります。
大島の周りに常にあるきれいな瀬戸内の海に出ることがどれほどのことだったか。海に希望を見出したのか、絶望的な気持ちなったのか分かりませんし、知る術もありませんがただただこの船は黙ってここに佇んでいます。
そういえば、瀬戸内国際芸術祭のテーマは「海の復権」だったなと思い出します。
こちらは大島の人のなかで受け継がれてきた蔵書で「北海道書庫」と名付けられています。
いつだってどこだって本は自分がいる場所と遠い世界をつなげてくれます。
こちらが鳥栖さんの写真と使っていた機材。
ハンセン病の影響で思うように四肢が動かず、シャッターを切るのも大変だったため補助具を使っていたそうです。
また、ここにある石像のようなものはかつての解剖台。2010年の瀬戸内国際芸術祭の直前にたまたま発見されて、ここで展示することにしたとのことです。
入所者の方は自分の死後、遺体を解剖するという誓約書に強制的にサインをさせられたそうです。ただし、こういったことには正確な記録が残っていなくて入所者の方々の証言が頼りなんだとか。
いまどき珍しい公衆電話BOXが島内にはちょこちょこありました。まだ使えるんでしょうか・・・。
ここから、誰が、誰に、どんな電話をしたのでしょうか。
香川と言えば盆栽!こちらは現在の入所者の方が趣味でやっています。
田島征三さんによる「森の小径」。入所者の方や訪れた人が散策できる場所として作ったものです。
同じく田島征三さんの「青空水族館」。
寮の建物全体が一つの絵本となっているインスタレーションです。
泣いている人魚や「どうして私を捨てたの?」と訴えるゴミでできた魚。
直接ハンセン病のことをとりあげているわけではないけれど、大島の歴史と重ねあわさずにはいられません。
また大島会館というところでは、入所者の方が書いた習字やパソコンで書いた日記?なども展示されていました。平均年齢80歳超でもパソコンを使いこなしちゃうんですね。
ツアー形式で回ったので島にいた時間は1時間半ほどでした。こえびさんのガイドで大島のことを知りつつ作品も鑑賞できるのに十分な時間でした。
逆にいえば、それぐらいの時間で散策できてしまうような小さな島にときに3000人もの人が強制的に隔離されていたわけです。
「ハンセン病」という言葉は小学校の道徳の時間に聞いたことがある気がするけど、実際はどんなものかよく分からないし、入所者の方も高齢なので放っておけばそのうちそういった出来事自体風化していくものなんだろうと思います。全国にハンセン病の療養施設は十数ヶ所あるそうですが、おそらく他も同じような状況だろうと思います。
そういった記憶をアーカイヴする意味でも、大島が芸術祭に参加している意義は大きい。
人が生きた証を残すための、語弊を恐れずに言えば、「看取り」のためのアートと言えるかもしれません。