夜空はいつでも最高密度の青色だ
映画を観るにあたって、あわせて同名の詩集を買った。
最果タヒの詩は普段私が目を背けたい、女としての自意識をビリビリについてくる。
やめてやめて、私はそんなこと考えずに生きているのだから。といった私の上っ面をべりべりと剥がしてくる罪深さ。
なんでみんな恋ばっかりしているんだろうって主人公は言うし、
恋をしないほうが楽で強く生きていけると思う。
それでも手を伸ばすのはなぜだろう。
「自分は特別でありたい」ってみんな思っているくせに、
恋に関しては人並みを求めるのはなぜ。
死の臭いを漂わせた諦観が湿気のようにまとわりついてくる、そんな時代だけど、
いつの時代も恋する相手の元へ全力疾走する姿は尊い。
凡百の恋愛映画のようにドキドキ胸キュンするようなシーンはない。
どんな恋愛映画を観て胸をときめかせたって、
自分はこの世界の主役じゃないし、映画さながらの恋愛をすることはないことを
私たちは知っている。
最果タヒの詩は現代に地に足つけて生きる私たちの姿そのものであり、
そこにいるのは等身大のどこにでもいる私たち。
美香や慎二は私かもしれない。
「美しいに香るで美香でしょ。平凡でいいね。」
不器用で、ほんとは恋愛なんてしたくなくて、でもどうしても惹かれあってしまって。
自分の力ではどうしようもなさに半ば絶望しながら恋に落ちるのだ。
詩集のあとがきに、こんな言葉がある。
「世界が美しく見えるのは、あなたが美しいからだ。
そう、断言できる人間でいたい。」
最果タヒの詩は読んでいると痛くなるほど普段は誰にも見せない私の内側を突いてくる。
でも彼女の眼差しは、こんな、どこにも行き場のない醜さをを攻撃しているのではなく、不器用に生きる私たちを全身で受け止め、慈しんでいる。
そう、これは彼女からの人生讃歌だ。
どれほどの人が彼女の言葉に救われるだろうか。