top of page

屋島・豊島旅行記 2日目

檸檬で草木染された布が朝日を浴びて、室内が檸檬に満たされながら起床。

豊島に来たことは何度かあるけど、いつも日帰りだったので朝の豊島の景色を見るのは初めてでした。

紅葉に染まった檀山が朝日に照らされて神々しささえ感じます。島の朝はとても静かですがすがしい。

朝ごはんももちろん檸檬です。

2日目は豊島=大切な人を連れてきたくなる島(と、私が勝手に思っている)を目一杯楽しみます。

檸檬ホテルを堪能して向かったのはクリスチャン・ボルタンスキーの「心臓音のアーカイブ」です。

豊島の唐櫃地区のさらに先、民家からも少し離れた浜辺にあります。

世界中で集められて心臓の音が全てここに集まっています。人々は自分の心臓音を聞くため、大切な人の心臓音を聞くために世界中から訪れます。

「生きている証を残す」といったときに、画家は絵を描いたり、小説家は文章を書いたり、偉大な人は銅像を立てたりするのでしょう。あるいは子孫を残すことも生きている証を残すことかもしれません。

この作品は心臓音を録音し、データを残していきます。作品を見て(聞いて)「面白そう!」と録音するお客さんもいるそうですが、心臓の音を録音させる行為ってかなり切実なことだと思うんです。究極の生きている証だから。

録音することも、聴かせることもかなり切実な行為。見ず知らずの人の心臓音が響き渡る部屋に佇むのはその人の生を一時的に引き受けることに限りなく近い。

真っ暗な空間、お腹に響く音が気持ち悪くてすぐに部屋を出てしまう人もいるようですが、それも仕方ないことかもしれません。まともに引き受けていたら身が持たないもの。

私の心臓音も、私の大切な人の心臓音もここに保管されています。

つづいて豊島美術館へ。

お昼時だったので、作品を見る前に美術館のカフェに行きました。

豊島の棚田でとれたお米が使われています。美味しかった!

豊島美術館はいつも圧倒的な体験をさせてくれる場所です。

森の小道で瀬戸内海の景色を眺めながら進み、建物の中に入ると、圧倒的な空間が広がります。

建物の中に入って、視界は狭くなったのに、空間が広がったように感じる不思議な体験。刻一刻と変化する水の動き、天井から差し込む光、静寂で満たされた空間すべてが愛おしい。

誰がどこで立っていても、座っていても、絵になるというか、鑑賞者全員で一つの舞台を演じているかのような錯覚に陥ります。

この作品の名前は「母型」

私の解釈では、明るい胎内めぐりをする作品だと思っています。お寺とかでやる胎内めぐりって神秘的だけど暗くてちょっと怖い。

でもこの作品は、鑑賞者が子宮の中をたゆたっているあいだ、私たちが自然の一部であること、生まれてきたこと、生きることを祝福してくれる賛歌のようです。

横尾忠則が手掛けたこちらの施設。生と死をテーマに展開されている豊島の作品群の象徴的な作品の一つです。

ただ、何度も訪れていますが、正直言ってこの施設のことをうまく言葉で表現できなくて・・・

古民家を改修した家に飾られている絵画やインスタレーションはある意味暴力的というか、毒々しくて、落ち着かない。居心地の悪さを感じながら次の場所に進んでいきます。

ある決まったルートを進むことでストーリー性を持って展開されます。個々の作品のメッセージ性というより、全体を通じてのストーリー性。自ら空間内に身を投じることで、強制的に身体的な体験に落とし込まれていきます。結果、「なんかよく分からなかったけど、すごい」という感覚を呼び起こす。

もちろん、ちゃんとした批評家の方が筆を取れば、この「なんか分からなかったけど」のところを言語化できるのでしょうが、私のような素人でも、言語化できないところに落とし込ませる力がある。

最後に小型船に乗ってこの旅は終了しました。

Featured Posts
Recent Posts
Search By Tags
bottom of page